批判・監視・民主制

  • 2014.02.19 Wednesday
  • 23:28
先週末からの大雪災害がいまだに予断を許さない状況であるが、オリンピック鑑賞やてんぷら飲食で後手後手にまわった安倍首相をはじめとする現政権への批判が噴出した。

そうした批判に対して妙な反批判が政権内部からも出ているし、首相が高級てんぷらを食べて何が悪いという頓珍漢なものもある。

またこうした政治家の落ち度について、批判ばかりするのではなく、建設的な議論をという声も根強い。

しかし民主制でのメディアや民衆の役割とは何だろうか。

まずは批判こそが主要なものであり、それによって政治の堕落・腐敗が防止されるはずだ。

いついかなる社会でも問題は山積みであり、それに対して、政府がどれだけ頑張って対応しようとしても、とりこぼれは不可避だ。だからいついかなる場合でも、政府は批判から逃れることはできないし、批判があることで改善の余地がどこにあるのかが明白になる。

批判ばかりされるのは辛いことかもしれない。しかしそれを辛いと思う人物はそもそも民主制の下での政治に向いていない。

批判をいかにかわすかを手練手管で行なおうとする政治家に対して、常に監視の目を張り巡らし、否をつきつけ続けることこそ民主制下において最も重要な事柄だ。

その点で、これだけ情報技術が発達したのであるから、在任中の政治家の仕事中は常にwebカメラで監視できるようにしてはどうだろうか。ベンサムの提案のように、官邸や議会をパノプティコン型にして公衆が監視するのも手だが、現代はもっと手軽に、それこそ安価に政治家などを監視できる。これを活用しない手はない。



 

能楽堂に思う

  • 2013.03.21 Thursday
  • 11:31
 昨日、渋谷能楽堂にて狂言と能の鑑賞。野村万作・萬斎親子『宗論』、櫻間右陣『当麻』。いずれも昨今観た中で、よい舞台だった。

以下のコメントはただ周辺的な、そして些細なことを。

例えば『当麻』の中に「たづきも知らぬ山中に」という箇所がある。字面だけ追うと、つい「さんちゅう」と呼んでしまったが、地歌が「やまなか」と歌い上げるのを聴いて、確かに、音で理解していた昔の名残というか、日本語の特性からすれば、ここは訓読みがよいのだろうと、今さらながら得心した(真実は違うのかもしれないが)。

能ではかつてありし人物が霊となって登場することがよくある(というかほとんどか)。そのような舞台を見る上で欠かせないのが「照明」だ。

しかし明治期の文明化の過程で、能舞台は欧米の文化(歌劇場)に倣って、室内空間へと閉じ込められた。問題は室内でどのような「照明」を行なうのかである。

現代では、謡本を読む観客のために客席も適度な照明がある。これがまず第一に舞台への意識を遠のかせるのでよろしくない。

第2に舞台も照明が煌々となって陰ができないようになっている。これがまた能の物語世界への飛翔を阻害する大きな要因だ。

現代の薪能においても、照明は薪だけでなく、ライトの補助がつく。谷崎が『陰翳礼讃』で慨嘆したように、陰翳のある空間を嫌う聴衆の好みに合わせて、光り輝く!?舞台になっている。

無表情を能面とも言うが、実は豊かな表情を表わすのが能面だ。それが最も効果を発揮するのは火によるものであれなんであれ陰翳が付くときである。その魅力を現代の能舞台はひたすら奪ってしまっている。

むろん演者からすれば、そんなことは百も承知であると思われる。分かっていながら、いまだハリウッド映画のような陰翳をつけない舞台照明で事足れりとしているのであるから、問題ではないか。

古典芸能の魅力は汲めども汲めども尽きぬ泉のようなもので、それを活かすことをもっと考えるべき時ではないだろうか。

魅力を伝えるには、かえって古の方法に学ぶ、原点に返ることも重要である。

原点はどこに定めてもよい。各人各様の考えに基づいて、原点は様々であってよいはずだ。

ただ能は明らかに中世的なものである。中世のイメージもまたさまざまあろうが、近世の明るい文化と対比されて、陰翳がより際立った世界でもある。加藤唐九郎が言うような暗さ(黒樂茶碗がそうであるような)が中世には付き纏う。

その陰陽というか彼岸と此岸の明白なる対比と相互浸透とに幽玄なる世界が生まれ出るのであれば、能舞台には「陰」がなくてはならない。照明によるのであれ、なんであれ、陰が重要である。

ソニーの世界遺産番組のCMでは、薪だけの能が映し出された。その折の能面の表情の艶やかなる、陰翳ある姿。あれをこそ生で観たいものだ。

メモ

  • 2006.04.12 Wednesday
  • 18:48
『現代思想』に掲載されている子安氏の論考で、靖国訴訟に関する高松高裁の判決の内容を知る(いや、判決が出た際に概要は知っていたが)。首相が靖国参拝という政治的意味合いをもつ行為を神社参拝一般の行為へと問題をずらし、一個人の「心」の問題に解消しようとする「凄まじい」権力の論理を問題にしつつ、靖国神社が宗教施設ではないとして戦前に権力と一体化したのに対して、現在は積極的に宗教施設として喧伝しようとしていることの問題など。

気になったのは靖国訴訟に関する高松高裁での判決文の内容。小泉首相の靖国参拝は国民(原告)の信教の自由を侵害したり不利益を与えるものではないとした点で、これは政治権力を握った者が憲法に謳われていること(政教分離)が何であれ、人々の権利侵害や不利益にならなければ、ないがしろにしてよいということを認め、小泉首相の靖国参拝を司法が積極的に後押しすることになると子安氏は言う。

さて功利主義的にはどう考えるべきだろうか。ベンサムならば、まず政教分離規定のところにその規定の存在理由を明記するだろうけれども、個別の案件で利益の侵害があったかどうかを規準にして判決を下すような構成にはしない気がするが、ネックになるのは「利益」の侵害の判定如何だろう。政治権力を保持する者が特定の宗教を利することによって、さまざまな不利益が社会的に生じてきたという歴史的理由から宗教への政治の関わりの禁止ということではある。

或いは、そもそも世俗の制度である国家は世俗外の領域の宗教とは関わる必要はないし、関わるべきでないとも言えるが、現状ではすぐに不利益を生み出さないにしても、将来的に大きな不利益を生み出す可能性を重視して禁止と考えることもできる。将来的な不利益については、子ミルが言うような社会における多様な意見の封殺や個性の没却ということになるかもしれない。

また政治権力に関わる者が人々の信教の自由を侵害していないからと言って、政教分離に反することを認めることはできないのは、それが信教の自由というものを矮小化しているからだと批判することもできそうだ。。。

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