節電

  • 2011.06.29 Wednesday
  • 23:02
勤務先の一つでも、一律に冷房の停止措置がとられている。15%の削減要求に従って、必要の有無も考えず、悪平等的に節電節電の大合唱である。

いま、節電を叫び、節電に取り組んでいるところは、なぜ今までやらなかったのか。それはやる必要がなかったからだろう。必要を感じなかったからだろう。今節電に取り組むのは、やらないといけないらしいという状況にあるからに過ぎない。

その点で、原発の停止が電力不足を招くから節電というのはまったくもって浅はかだ。電力が足りる情況になったら節電をやめるだろうから。

電力の安定供給が至上命令だった「はず」の電力会社にとって節電を呼び掛けるのは「矛盾」だろう。

電力需要を、生活という視点から考えて、必要なものとそうでないものを明確化する必要がある。

こんなご時勢ですからという俗耳に入りやすい言葉ほど危険なものはない。いままで、こうした「仕方なし」の態度が、人の人生を、なし崩し的に翻弄してきたからだ。

脱原発などの電力供給源の問題を議論することも重要だが、電力需要の側面をも一体に考えて今後のエネルギー問題を考えていく必要がある。

こんなふうにパソコンを使っている生活の見直しもしていかないといけないだろう・・・。

豊かさと不平等

  • 2011.06.12 Sunday
  • 09:38
 「「着物って、ガチガチにルールがあってつまらない・・・」
 着物にせよ、なんにせよ、「伝統」なるものの世界の作為性というのは、『創られた伝統」以来、よく指摘されてきた。

 だから昔には、現在とは異なる多様な、そして豊かな世界があったのだ。近代化or大衆化or消費社会化(そして利益追求第一主義)がそれを一様なものにしてしまったのだという批判もよく行なわれる。

 これらの批判については、まったく賛同するのだが、どこかしか違和感もある。

 違和感の正体は、その多様で豊かな文化なるものが育っていた基盤には、武士、町人、農民をはじめとした身分秩序や、現在よりもひどかった不平等の問題があることだ。
 
 見事な手工芸品にしても、平等な社会では維持できない。お抱えの人間を雇うことができる階層と、そのような仕事に従事せざるを得ない人々がいて、初めて、素晴らしいものは普及する。

 これはなんともジレンマだ。。。

知の巨人・梅棹忠夫「幻の書」に予言された人類の行く末

  • 2011.06.08 Wednesday
  • 07:05
 録画していた日曜日の梅棹忠夫の番組を観る。梅棹の残した未完の書の末尾にある「暗黒の中の光明」をめぐるドキュメント。

番組中、東電社長とのやり取り(民俗学の観点から、安全と思っていても、人間はかならず予想外のことを起こしてしまう)など興味深い。

知識を求める人間の業ゆえに、人間は繁栄を築いた文明によって自らその生存を危険に晒している中、彼はどこに「光明」を見たのか。

番組の編集方針、そして山折氏ほかのコメントが、梅棹の問題意識とずれているのか、あるいは、梅棹の問題意識そのものが古いのか。頭をひねるまとめ方になっていたのが残念。

山折氏はじめ古い世代のこともあって「経済=理性、人間=感情」という二項対立で安易に語られていたり、キリスト教と仏教、日本とヨーロッパという対比は、両方に精通したうえで(但しヨーロッパなどというくくり方が既にひどい。もちろん山折氏もイギリスとフランスを念頭に置いていたが)論じる必要があるし、そもそもよくご存じでないことを知っているかのように語ることには、相当な違和感を感じる(自戒もこめつつ)。

ただ家事の邸宅から「全員」を救済する「三車火宅」の話と、人間ではノアの家族「だけ」が救済される旧約の話との対比は、興味深い。

おそらく、日本社会では、どんな状況でも、全員を救うということがデフォルトなのだろう。たとえ稀少な資源の分配をしなければならない状況でも。

そこでは、現実を冷静にみつめ、「冷徹に」犠牲にせざるを得ないことに言及することは忌避される(この点で、救済すべきグループなり、人数を明確に指摘する功利主義への批判が根強いのも理解できる)。

しかし現実には、全員を救えない。「仕方なく」、誰の責任でもない形で、犠牲が生まれ、ただ全員を救おうとした「努力」だけが称賛される。そして、人々は犠牲者に対して哀悼を表す。無常感があらわにされる。ここには結果を論じる余地はない。

無常感は実感として理解はできる。しかし統治者がそれを言ってはいけないし(小泉元首相の「人それぞれ」は無常感の一変奏だろう)、今後、どのように変革すべきかは、無常感に浸っているだけでは生まれない。

これから(ようやく)始まる事故調査だが、既に被災地の救援に関しては、市民のネットワークが微力ながらもとても「光明」を与えるものとなっていることは確かだ。

正義

  • 2011.06.05 Sunday
  • 08:32
 前の記事から2カ月ほど経ってしまった。

さて、先ほどtwitterから知ったこちらの記事


 この点は、まったく賛成(ただ一瞬、「まさよし」を「せいぎ」とかけているのかと思ってしまった)。問題は末尾。

  • 「経済問題を判断するのには、判断基準(=正義)が必要なので、池田信夫氏の主張は誤りだ。正義が不要だとすると、厚生経済学の立場が無い。
  • 「正義」の共有は不可能なので、そこで言い争いになっても建設的ではない。また、「正義」が共有できなくても判断材料は共有できるし、主張者によっては判断材料がおかしいときも多い。ゆえに、応用経済学者は「正義」が何かの議論を回避している。
  • しかし、幾ら回避をしたところで、最終的には何かの判断基準が無いと選択ができない。ゆえに、「正義を疎かにする経済ほど愚かなものはない」という孫氏の指摘は、概ね経済学的には正しいように思える。」

 判断基準=正義、判断基準は多様という図式がひっかかるというか、正義は主張者の独断という相変わらずの図式なのだなと思う。

 講義などでも、正義について学生に語らせると、人それぞれという話が返ってくる。Justiceは、日本語の正義の意味とはちょっと(というか、ずいぶんと)違っているということを伝えたいのだが、なかなかうまくいかない。

 井上達夫『共生の作法』でもあったように、正義が嫌いでも、不正は好きという日本人の思考に訴えるか、あるいは、法の根拠としての正義という話をするかだが・・・。

一般化と仕方なしに抗するには

  • 2011.04.07 Thursday
  • 09:02
日々、危険なデータから安全なデータまで、さまざまなデータがメディアで流れる。代替エネルギーへの模索を回避してきた日本のエネルギー政策も見直しが必要にあると思うが、例えば、経団連会長の談話にもあったように、原発は安全策をしっかりしていれば大丈夫だというものがある。

福島第2原発が問題なく停止しているのに対して、第1原発が現在の事態になっているのは、その設計ミスにあるというもので、そこさえしっかりすれば、原発は安全なのだという見解だ。

しかしこの種の一見冷静に思われる現状分析は、今回の事態を安全設計一般の問題へと摩り替える効果を発揮してしまう。何十万という人々が避難を余儀なくされ、数万人規模になる死者、そしてその死者の何十倍もの関係者の受けた苦痛という個別の事件が一般化されることには注意が必要だ。

それとともに、死者数を比較しての「相対化」にも気をつける必要があるだろう。これはナチスのユダヤ人迫害、日本軍の731部隊や南京の問題などでも見られたが、今回の複合的な人災とも言える事態を、より悲惨な事態でもって相対化することには気をつけないといけない。

数値化や冷静なる分析の陥穽というか、そうしたものがそぎ落としてしまう個別性という問題をどうすくいとっていくのか、難しい問題が依然残っているように思われる。

さて、10日に、反原発のデモが予定されている。先月にはドイツで20万人規模のデモがあった。原発を即刻、あるいは段階的に廃止すべきだという意見、現在計画 中の原発建設を中止すべきだという意見、浜岡原発を即刻停止すべきだという意見など、もろもろあるが、反原発のうねりが生じていない中、こうした動きを表 面化する意味合いは大いにある。

昔、丸山眞男が戦後デモクラシーの本質を、仕方なしデモクラシーと呼んだように、現状を説明する際に非常に都合のよいいいわけとして「仕方が無い」が流通している。

これは、主張や理論の妥当性が時代遅れかどうかで認識される心性とも関連している。今は、こういう事態だから、これこれのことも仕方が無い・許される。あるいは、今の状況だから、自分のことは或る程度我慢しなければならない。

こうした心性は理解はできるが、すべてを正当化する「いま」という根拠には内実がない。単なる情況倫理であり、あしき「現実主義」だ。

このような心性を突き崩すことは甚だ難しいが、反原発デモはその一つのとっかかりになるかもしれない。

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